福島県議会 2020-09-30 09月30日-一般質問及び質疑(一般)-05号
昭和18年頃、駆逐艦「澤風」に乗船し、太平洋海岸線の防御の任に当たり、翌昭和19年に南洋群島防衛のためグアム島の陸戦で戦死しました。その後、祖母は幼い子供4人を連れ親戚を頼り、小名浜に身を寄せたそうであります。 太平洋戦争終戦後、小名浜港には2隻の駆逐艦が沈められ、防波堤の基礎となりました。
昭和18年頃、駆逐艦「澤風」に乗船し、太平洋海岸線の防御の任に当たり、翌昭和19年に南洋群島防衛のためグアム島の陸戦で戦死しました。その後、祖母は幼い子供4人を連れ親戚を頼り、小名浜に身を寄せたそうであります。 太平洋戦争終戦後、小名浜港には2隻の駆逐艦が沈められ、防波堤の基礎となりました。
対潜学校練習艦として太平洋沿岸警備に活躍していた駆逐艦「澤風」と日本海方面にあって人間魚雷「回天」の搭載艦となっていた駆逐艦「汐風」の2隻は、日本再建の願いを込めて小名浜港へ回航され、「澤風」は今の魚市場の防波堤として、また「汐風」は現在の1号埠頭、いわき・ら・ら・ミュウの先端でありますが、その中央付近で礎として役割を果たしております。